阿用小学校


子どもに委ねること

2023-07-12 16:40:29
 今日5年生の教室をのぞくと、1枚目の写真のように、数名の子が教室から突然出ていきました。何かと思ってみると、2枚目の写真のように、廊下の窓を必死に閉めていました。突然の豪雨で、廊下が水浸しになることを予想して、担任が言う間もなく、ほかの学級の窓も閉めていました。といって、ほかの子は、当たり前のように授業に集中して、個々に学習を進めていました。
 2年生教室へ行くと、「ごめんね。僕のために」「いいよ。困っているんだから」という会話が聞こえてきました。3枚目の写真です。図工で使った水入れがこぼれてしまったようです。数名の子が、自分がこぼしたかのように一生懸命拭いていました。「ごめんね。」と素直に言える子も素敵ですが、当たり前のように拭く子も素敵でした。その後、大掃除があったのですが、また2年生から心温まる「思いでしょ。持つよ。」「ありがとう。」という会話が聞こえてきました。みると、3枚目の写真で、水入れの水をこぼした子ではありませんか。やさしいことをしてもらったことの恩返しを当たり前のようにやっていました。
 その後、4年教室に行ってみると、教室の大掃除中でした。教室内のものをすべて廊下に出して、一心不乱に教室の床を拭いていました。担任は「もういいよ。やめようよ。」と言っていましたが、子どもたちは「もう少しきれいにしたいです。」と嬉しそうに雑巾がけをしていました。ふと掲示物を見ると、先日からの社会科の学習のまとめの「作品」が貼ってありました。どのようにしてごみとかかわっていくのかを一人ひとり書いていました。6枚目の写真のように、「ゴミを減らすこと」を「夢」としてとらえ、具体的に自分は何をしていくのかを説明した「作品」がたくさんありました。先日のごみ処理場の見学から、一気に「自分事」として社会をとらえていった子どもたちらしい「夢」を目の当たりにしました。
 今日紹介した子どもの姿は、ほとんど担任等の大人の指示がありません。子どもたちは、案外、そのほうが、しっかり考え、自分事として動くのではないか、と考えさせられる出来事でした。

自学 自分で考えたことを学び、自分で評価する

2023-07-11 17:53:46
 先日2年生教室に入ると、自学ノートについて学んでいました。黒板には、「自分で えらんで 丸して しらべて まとめて」「今週のめあて 自分からはじめる」と書いてありました。今年の2年生は、授業の進行を日直の子どもたちが行うなど、「自分で」「みんなで」を合言葉にして取り組んでいます。ですから、当然自学ノートの取組も大切なものとして位置付けているのでしょう。いつも以上に真剣な表情で聞いていました。2枚目の写真は、とりかかった姿です。「なにをするとよいのかな。よしこれを。」などと、一人ひとりが少しウキウキしながら取り組み始めていました。
 3枚目の写真は、5年生の子どもたちの自学ノートのチャレンジウィークでの取組を掲示したものです。漢字一つとっても、覚え方が違うことがわかります。同じ熟語を何度も書く子、たくさんの熟語を調べる子、成り立ちを書く子など様々でした。とても素晴らしいのは、自分で目標を立てていることです。「覚えた感じを多くの機会で使えるように、熟語を調べる。」などといった目標があるので、どんな方法で漢字練習をするのかが一目でわかります。きっと、脳内で「〇〇(自分の名前)は、~がしたいから、鉛筆を持って字を書いているんだな。」と言い聞かせるのだと思います。4枚目の写真は、5年生の算数の授業でグループごとに、自分たちの考えたことを図や式を使って表したものです。この写真は、それをホワイトボードに書いた日と違う日の授業中に掲示してあったものを撮影したものです。このホワイトボードを使って、新たな問題を解こうとしていました。自分たちで工夫や苦労して表したものを活用して、次の学びを広げたり深めたりする経験が、よりよい「自学」にもつながると思います。
 5枚目の写真は、6年生の社会の様子です。「今日のめあては何にする?」という担任の問いかけに、「昨日は聖徳太子を学んで、天皇の政治が、」とか、「蘇我氏を倒したっていうことは」などと、前回の学習を踏まえて、自分たちで「問い」を考えていきました。その後、大化の改新で、どんなことが、どのような思いや願いで行われていったのかを、資料集や教科書を使ってペアに説明する活動をしていました。おもしろいことに、自分なりの言葉でストーリーを作って話していました。社会科の目標には、判断や選択したことを議論、説明することができるようにする、という内容があります。自分事として、歴史上の出来事を自分の言葉で説明していくことは、歴史を通して「自分の生き方や現在・未来の社会」を考えることにつながります。これも大切な「自学」です。
 夏休みが近づきます。大人が用意したものを、大人の監視下で取り組み、その後、丸つけなどを大人がして「直させられる」のは、ただの「勉強」です。今後求められるのは、「自学」です。自分で「学ぶ」ことが大切です。

大人も学ぶ

2023-07-10 16:59:49
 7月7日の公開授業の後に、学校保健委員会と救急法講習会を実施しました。学校保健委員会では、雲南市の武田保健師さんにお越しいただき、「朝から元気!1日元気!」と題して講演していただきました。朝食をはじめ、栄養バランスのとれた食事、早寝早起き、メディア接触など幅広い視点から、どのようにすれば朝から元気になれるのかを教えていただきました。ご自分の生活を交えて、子どもの健康をどのように保っていくのかをお話しいただき、親近感を持ちながら聴くことができました。振興協議会の岩田さんもおっしゃっていた「子どもが元気でいるためには、まずは保護者が『自分の心身を大切にすること』」という言葉が特に印象に残りました。
 ご講演の後、「これからやってみよう」と思うことを、保護者、教職員、学校栄養士、振興協議会という立場が異なるメンバーが集まって考えました。お話をお聴きした後でしたので、「うちの子はね。」といって、うまくいっていること、うまくいかないことが会話として出てきました。そのあと、今後やってみようということをグループごとに話し合って決めてもらいました。「一品の中の具材を一つだけ増やす」「スマートフォンの使い方のきまりを徹底させる」などが決められました。「一緒にやってみようね。」などと、グループのメンバーがタッグを組んで、これから取り組んでいこうという意気込みを感じることができました。
 その後、救急法講習会を、雲南消防署からお越しいただき救急法について学びました。コロナ禍のため、ここ数年中止していましたので、久しぶりの開催です。今年は夏休みのプール開放がないですが、たくさんの方にご参加いただきました。お互いの「挑戦」を見合いながら、よりうまくできるように、講師の方や保護者の方のアドバイスを聞き入っておられる方がたくさんおいででした。6枚目の写真は、数名の保護者、教職員が協力し合って、心肺蘇生をしていく演習を行いました。個々が、自分のしてきたこと、引き続きしてほしいことなどを的確に話しながら、心肺蘇生を続けていく姿は、即席とは思えないくらいのチームワークでした。
 最後に、保護者の方のなかで、職場で毎月救急法講習会を開いておいでだというお話を聞きました。万が一に備えて、主催者として数年にわたって会を実施されているようです。「万が一」のために、職場の方の貴重な時間を講習会に費やしてもらうということは、とても勇気がいることだとお話されました。講習会に参加した全員が、救急法講習会の重要性やより多くの参加者が必要であることを考えさせられました。
 いずれの会でも、保護者の方々の「学び」の姿勢がとても印象的でした。興味や関心を持って、自分事として聴いたり考えたりされる姿、自分の考えをしっかり言ったり積極的に参加される姿がずっとみられました。こんな保護者の方だからこそ、子どもたちの学びは成長していくのだと確信しました。

学びの姿 みてちょうだい

2023-07-07 17:09:30
 今日は、1学期最後の学習公開でした。1年生は図工。2年生は国語。3年生は学活。4年生は社会。5年生も6年生も算数でした。保護者の方に来ていただいて、嬉しそうにしている学級、いつもより緊張している学級、いつも通りの学級、背筋が(いつもより)ピンとしている子、ちょっと後ろを見て「お母さん見てるかな。」と確認する子、興奮している子と、さまざまでした。教職員は、いつも通りの授業スタイルですし、「よそいき」のことをしてほしいと願うこともありません。日々、「こういう姿になってほしい」「こんな力をつけてほしい」と願い、授業を考えたり、学級で大切にしていきたいことを指導してきたりしています。本校の教職員の「授業観」は、いつでも「公」として、だれが来ても説明できるようにしておくことを大切にしています。
 ですから、授業公開で、できないことがあったり、姿勢が乱れたりしても、長い視点で一人ひとりの成長をみていますので、そんなことは気にしていません。もし、子どもの中で「失敗したらどうしよう」「ちゃんとしたところを見てもらいたい」という気持ちが強かったとしたら、少し考えなくてはいけません。一つは、その場限りの「よい姿」は誰のためにもならないということを知ってほしいです。「いつもの姿がいけないな」と気づいているのなら、自己の目標として日常で取り組めば、よりよい学校生活を築くことができます。たった1時間だけ修正しても、何の力にもなりません。もう一つは、「変な姿をみせたら、嫌われるんじゃないか」と思っていては、気が休まらないということです。保護者のみなさんのことを、そんな「他人」のように感じていれば、失敗を覚悟に挑戦したり、間違いを粘り強く直したりすることができなくなります。「『いい子』を演じ続けることはできません」と気付いてほしいです。
 ぜひ、今日の授業公開のことをきっかけにして、いつもの学校での姿を話していただければ喜びます。

学びの原点

2023-07-03 17:59:28
 最近の「学び」の原点を紹介します。
 1年生(1枚目)。つい最近(と思うのは失礼かもしれませんが)ひらがなを習い始めたのに、硬筆書写コンクールの「作品」づくりを始めました。プールに入って、汗だくだったにもかかわらず、よりよい「作品」にしようとがんばっています。「先生、できました。」という声が、「これは自信があるぞ。」であったり、「できるにはできたけれど。」であったり、自己評価をしながら担任に「作品」の成果を見てもらいに行っています。友だちに対しての担任のアドバイスもしっかり聞こうとしているところに「学び」の原点を感じます。
 2年生(2枚目)。振興協議会の皆様のご協力で畑と田んぼに鳥獣対策の柵を作っていただきました。2年生は、「私たちが育てている野菜を守ってくださるみなさんにお礼を言いに行きます。」とさっそうと出かけていきました。それぞれが、大きな声で「ありがとうございます。」と堂々と言っていました。聞くところによると、育てた野菜を使ったカレーを作るようです。「カレーのためにね。」といじわるでいうと、「校長先生、違いますよ。全校みんなが野菜などを作っているでしょ。私たちは代表です。」と真剣に怒っていました。眼にみえないことでも、自分たちのために働いてくださっている人がいることを想像できるところに「学び」の原点を感じます。
 3年生(3枚目)。「校長先生、ぼくたち『英語』をやっているんですよ。もう大変。」とローマ字練習帳を見せてくれました。ローマ字一覧表を見ながら、必死にローマ字で書こうとしていました。つい最近(と言っても1年生ですが)ひらがなを、五十音表で書きたい字を探しながら書いていた子たちが、「ちょっと大人になった」感じで「英語」を書こうとしています。かなり面倒くさい作業ですが、何か大人になる「儀式」として進んで習得しようとしています。こうして知識・技能を獲得することで、世界が広がっていくことの心地よさを味わっているところに「学び」の原点を感じます。
 4年生(4枚目)。教室に入ると、社会科のごみの分別について学習していました。突然「校長先生は、『分別』って知っていますか。」と質問されました。「見学行っていないからなぁ。」というと、「なるほど。それじゃぁ仕方ない。」といって、分別について見学先で得た知識を自分なりの言葉で説明していました。見学先でもらった分別の表を用いて、「資源ごみ」について説明する姿は、もはやごみ処理に従事する専門家のようです。直接対面でお話を聞くことでしか得た、「自分事」として社会に関わる楽しさを感じているところに「学び」の原点を感じます。
 5年生(5枚目)。やっと大きくなったメダカのオスとメスをグループごとに観察してスケッチしている様子です。見える体勢は子どもによって違うようですし、残念ながらメダカは元気よく動きますので、なかなかベストポジションが定まりません。集中力と忍耐力の勝負です。さらに、記憶力です。一瞬見た特徴をスケッチにあらわすのは至難の業です。しかし、グループのメンバーが特徴を言い合いながら、しっかりと描こうとしていました。見えにくいものでも、様々な力を駆使して注視していく姿に「学び」の原点を感じます。
 6年生(6枚目)。6年生は先日から社会科の歴史的分野に入りました。縄文時代的な暮らしと弥生時代的な暮らしのどちらが幸せなのか、稲作が始まって本当に幸せにになったのかなど、歴史的な事実を関連付けて、当時の暮らしやそのころの人々の気持ちを想像していきます。さらに、今の自分の生き方と当時の人々の暮らしを照らし合わせて、「幸せ」かどうかという価値を判断していきます。社会は、徹底的に事実に基づかなければいけませんが、その上で「自分にとって」「現在の〇〇の社会にとって」どのような「価値」があるのかを考えていく必要があるときもあります。むしろ、大人になるにつれ、そういった「価値判断」は重要な力だと言えます。そんな今後必要になる社会を見る眼を話し合いの中で培っていく姿に「学び」の原点があります。