今日の給食(1月24日〈水〉)「給食のはじまり献立」の日
2024年01月24日
本日1月24日~30日は「全国学校給食週間」です。
学校給食の始まりは、明治22年山形県の私立忠愛小学校で出された「おにぎり・塩鮭・菜の漬物」とされていますが、本格的な学校給食は戦後になってからです。
戦後の昭和22年、食糧難にあえぐ日本に対してユニセフから脱脂粉乳が提供され、翌年にはアメリカから大量の小麦粉が提供されたようです。当時の給食は、アルマイト製の食器で、パンを主食とし、鯨肉の竜田揚げや千切りキャベツなどを副食としたものだったそうです。学校給食への理解の深まりや保護者からの絶大な支持を得て、昭和29年に「学校給食法」が制定され、全国的に急速な広がりを見ました。
雲南市では、昭和7年に斐伊小学校で「ごはん・みそ汁・おかず」がそろった給食が始まったという記録が残っています。当時は「満州事変」が起こった頃で、貧しい家庭が多く、十分な食事を食べられない子どもたちがたくさんいたそうです。その様子に心を痛めた村長さんや校長先生、多くの人たちが「子どもたちのために」という温かく強い思いで給食が作られたということです。
「全国学校給食週間」の期間中は、「給食の始まり献立」や「雲南市の郷土料理、特産品を取り入れた給食」が登場します(^_-)-☆
学校給食の始まりは、明治22年山形県の私立忠愛小学校で出された「おにぎり・塩鮭・菜の漬物」とされていますが、本格的な学校給食は戦後になってからです。
戦後の昭和22年、食糧難にあえぐ日本に対してユニセフから脱脂粉乳が提供され、翌年にはアメリカから大量の小麦粉が提供されたようです。当時の給食は、アルマイト製の食器で、パンを主食とし、鯨肉の竜田揚げや千切りキャベツなどを副食としたものだったそうです。学校給食への理解の深まりや保護者からの絶大な支持を得て、昭和29年に「学校給食法」が制定され、全国的に急速な広がりを見ました。
雲南市では、昭和7年に斐伊小学校で「ごはん・みそ汁・おかず」がそろった給食が始まったという記録が残っています。当時は「満州事変」が起こった頃で、貧しい家庭が多く、十分な食事を食べられない子どもたちがたくさんいたそうです。その様子に心を痛めた村長さんや校長先生、多くの人たちが「子どもたちのために」という温かく強い思いで給食が作られたということです。
「全国学校給食週間」の期間中は、「給食の始まり献立」や「雲南市の郷土料理、特産品を取り入れた給食」が登場します(^_-)-☆
今日は「給食の始まり献立」メニューでした。
・鮭の塩焼き
・福神漬けあえ
・すいとん汁
給食が始まった頃に思いをはせていただきました。
メニューの名前は同じでも、今日の給食に出た「すいとん汁」や「漬けあえ」は、当時の給食と比べると、食生活や食糧事情からみても具の量や種類などかなりの違いがあるんだろうなぁと思いました。
これからも、ありがたくおいしくいただきたいと思います。
ごちそうさまでした(*^^*)
・鮭の塩焼き
・福神漬けあえ
・すいとん汁
給食が始まった頃に思いをはせていただきました。
メニューの名前は同じでも、今日の給食に出た「すいとん汁」や「漬けあえ」は、当時の給食と比べると、食生活や食糧事情からみても具の量や種類などかなりの違いがあるんだろうなぁと思いました。
これからも、ありがたくおいしくいただきたいと思います。
ごちそうさまでした(*^^*)