阿用小学校


子ども同士で 深める広げる意味

2023-12-13 15:00:00
 今朝ある男の子が登校直後に、養護教諭に対して「足の付け根が痛くて…」と足を引きづりながら訴えてきました。その後保健室で養護教諭が詳しく聞いていると、近くを通った4年生の女の子と6年生の男の子が心配して「どうしたの?」と聞いてきたそうです。そして症状を聞いたお兄さん、お姉さんは「昨日初めて業間体育で縄跳び(1枚目の写真)したよね。〇〇ちゃんも一生懸命跳んだんでしょ?。」「うん、跳んだよ。」という会話の後、「だからだよ。ぼく(私)も筋肉痛だよ。」とお兄さんたちは言います。「なるほど。そうか。一生懸命跳んだから痛いんだ。今日はなわとびやめといたほうがいいの?」と男の子はキラキラした眼で聞きます。すると「筋肉痛は体を動かさないと、余計に痛いんだって。今日も跳んだ方がいいと思うよ。」とアドバイスをしました。「よぉし、今日も練習するわ。」と引きづっていた足で走って保健室を出ていきました。業間や昼休みの体育館では、1月に実施する縄跳び大会に向けて、個人又は学級で練習をしている様子が見られます。「先生。みててよ。」先生、大繩とび回して。」と、担任たちは3時間目以降の授業の準備を度外視して(させられて)つきあっていました。担任たちが「なわとび大会に向けて練習しなさい。」と指示してやっているのではないので、とても生き生きした表情を見せています。
 4枚目の写真は4年生教室の休み時間の様子です。子どもたちが、前の時間にわからなかったところを黒板を使って「あぁでもない。こうでもない。」と話し合っている様子です。5枚目は5年生の国語の様子です。グループで話し合った後に、友だちの考えと出会って自信が芽生えてたくさんの子が発表したい気持ちになっています。子ども同士で声を掛け合ったり、意見を交換し合ったりすることで子どもたちはやる気が出たり、理解しやすかったりすることがわかります。
 そうした子ども同士が関わりながら高め合えるようになることの基盤となるのは、やはり家庭での役割(仕事)を責任を持って取り組むことだと言われています。1年生は、生活科で「お仕事」(お手伝いと言わないところが素晴らしいですね。)についての振り返りをしていました。子ども扱いして、なんでも「してあげる」、なんでも「教える」「しつける」ということではなく、一人のいなくてはならないかけがえのない存在であることを尊重してみると、案外子どもたちは、大人が思っている以上の力を発揮するものです。

夢を持つ 自分らしさを出せる安心感

2023-12-13 13:15:30
 先週の水曜日に、健康委員会主催の「あよっ子ショー」を実施しました。今回の委員会のメンバーが考えた児童会活動です。自分が得意だと思うことを全校に披露するという初の試みでした。果たして出場する子がいるのかなと危惧していましたが、ふたを開けるとたくさんの出演者(参加者)がいました。自分が得意なマット運動、社会体育で培ったバレーやサッカー、野球の技などの披露をしました。また、ピアノの披露をした子もいます。
 きっと、披露する前はドキドキしていたと思います。いつも練習をしていて、近くの友だちや保護者の方に「うまい。」と言われたことはあっても、全校児童に受け入れてもらえるのかどうかは心配です。加えて、うまくできるかどうかも気になります。1年生の作文で、「6年生の〇〇さんが『うまい』と言ってくれてうれしかった。」と書いてあるのを読むと、そんな気持でも挑戦した子どもたちに感心します。
 5、6枚目の写真は6年生の披露の様子です。どうも6年生の学級では、「せっかくの『ショー』だから、みんなが盛り上がるようなことを披露しなくちゃね。」といって、「演目」を考えたようです。そこで「手品」と「こま」を選んだようです。6年生が1年生の時、こまが回せなくて休み時間はずっとこまを練習していたことを思い出します。だからこそ、1年生がこれから生活科でこまなどに挑戦することを見越して披露することにしたのでしょう。
 私事ですが、小学校1年生の時に友だちにこっそり「陶芸家になりたい。」と告白しました。すると、その友だちは「君は不器用だし、絵も下手だから無理だよ。」と笑顔で言われたことを思い出します。私も本校の子どもたちに披露すれば、ひょっとして「陶芸家」になれたのかもしれません。
 自分らしさを表現することはかなり勇気がいることですが、こうして受け入れてくれる仲間がいることで、「自分てすごいんじゃないかな。」と思うことができます。それが「上手」かどうかではなく、「すごい」と思って続けたり、また次のことにチャレンジすることの方が大切だと思います。そうしたことの積み重ねが、キャリア形成、社会的職業的自立のための資質・能力の育成だと思います。

学びを楽しむと学びたくなる?

2023-12-12 15:03:40
 先日、市の教育委員会指導主事の学校訪問がありました。1時間で6クラスを回ってもらいます。それぞれの学年の学習の様子を数分ずつ見てもらいます。1年生(1枚目)は国語の物語文の学習です。単元を通して主人公の気持ちの高まりをグラフ風に表しながら考えていて、その図を見ながら今までの学習を思い出していました。「そうそう、ここはこんな感じで(手でぐちゃぐちゃを表す)『困ったぁ』なんだよね。」などと登場人物になり切って考えた気持ちについて思い出していました。2年生(2枚目)も国語の物語文の学習です。主人公がどんな気持ちでいるのかを文章から読み取り、吹き出しに書く活動を行っていました。書いた子は、ほかの子のノートを見に行きます。書いていると「なんて書いたの?」と、書いていないと「困っているの?教科書のここのところを読んでみた?」と話します。こうして学びを子どもたちで進めていきます。3年生(3枚目)も国語の物語文の学習です。場面によって変わる主人公の気持ちを思考チャートや吹き出しなどを使って書き出して、総合して考える活動を行っていました。材料となる文章は、2年生に比べるとだんだんと増えていきます。見つけたことも時間がたつと忘れてしまいがちになるので、こうして「見える化」してあるものが手元にあると考えが広がっていきます。4年生(4枚目)は、算数で「平行な2つの線を確かめる方法を探す」活動を行っていました。平行な線を書くために三角定規を使ったという経験から、きっと定規を使うのではないかという予想を立てる子が多かったですが、そこで終える子は少なく、「もう一つ方法を考えよ。」「いいこと考えたかも!。」などという子がたくさんいました。写真がぶれていますが、これは「あっ、これはコンパスじゃなくて、ものさしを使った方がよい!。」ととっさに思い付いた瞬間です。
 5年生(5枚目)も国語の物語文の学習です。登場人物の心情を情景などから見つける活動を行っていました。見つけたことは付箋に書きます。じっと考えて吟味する子、見つかったと思った瞬間に付箋に書く子、様々です。この後グループ活動で自分の見つけたところの「量」「視点」などを友だちと比べるときに楽しさはぐっとわいてくるでしょう。6年生(6枚目)は社会科で鎖国の意味について考える活動でした。地図や写真などを見て、「なぜキリスト教を禁止したのか。」の問いに対しての応えを話していました。「教科書に書いてあります。」という発言に支配されそうなところですが、「ぼくが考えるのはね。」と自分の言葉で話し始めました。すると、友だちは「うん。なるほど。」と相槌を打ちます。
 指導主事には「いつも、授業はこんな雰囲気なんですよ。」と伝えました。一人ひとりが楽しみながら学び、また学びが楽しくなるという日常を過ごしていることが伝わったのではないかを思います。

自分事ととらえる力

2023-12-07 17:15:11
 今日の昼休みから5時間目に、人権集会を実施しました。児童会の運営委員会が中心となって会を進めました。まずは、人権擁護委員のお二方に「人権」についてお話しいただきました。
 その後、全校で「思いやり」について考える活動を行いました。まずは、「世にも奇妙な思いやりのない世界」という劇を運営委員会が披露して、思いやりの有無でどんな気持ちになるのかをイメージできやすくしていきました。その後ペアを経て、縦割り班で「思いやりのある言葉、言動とは?」ということを出し合いました。あいさつや応援、困った人への声がけなど様々な意見が出てきました。なによりも、4枚目の写真のように「頭を突き合わせて」6学年で考えること自体が「人との関わり」はいいなと思うことが重要な活動であると考えます。「(1年生の)〇〇ちゃんはどう?みえる?」「うん。大丈夫。」などという会話がごく自然に聞けるところがよいです。「よし、学校に来てよかった。」と思える瞬間です。発表する際にも、みんなにみえる、聞こえるように気を遣っている様子がうかがえました。だから、5枚目の写真のように、聞く側も、体制を変えながら聞こうとするようになっていきます。
 最後は、自分が大切にしたい「思いやり」を言いながら、じゃんけんのゲームをしました。なんと、人権擁護委員さんが勝ち続けられました。「ずっとグーを出していなのになぁ。」とおっしゃりながら、「楽しかったわ。」と言っていただきました。最後の最後には2年生の子がチャンピオンになり、全校児童が自分のことのように喜んでいました。
 本校のめざす、自分たちで創りあげる学校生活のための重要な力、自分事としてとらえる力を、全校児童が自分たちの手で獲得していく様子が伺えた大切な時間となりました。

学ぶ楽しさを「創る」

2023-12-05 16:52:25
 今日1年生教室に入ると、とても楽しそうにビッグパッドを使って説明しあっている姿が見られました。算数で図の様子を式に表す活動でした。「だってね、じっとしている鳥さんグループがね8羽いるでしょ。それから飛んでいっているグループは6羽でしょ。」と説明すると、「うん。うん。」と続けます。同じ図ですが、1枚目の写真の黒板に書いてあるように、式が3種類出たようです。「どの式が正しいのでしょうか。」という「問い」ではなく、「それぞれの式はどんなことを考えて作った式でしょうか。」という「問い」に対しての説明です。立式していない子が「きっとこの式はね。~だと思うよ。」と想像したことを説明すると、また立式していないほかの子が「違うと思うよ。これはね。」と説明を始めます。大盛り上がりです。図に表された鳥の数え方、グループの分け方、問われていることへの考え方などを、「正誤」ではなく、想像していくことに楽しさを感じたようです。
 続いて2年生教室に入ると、昨日に続いてかけ算の式(5×9)の文章問題作りをしていました。日常生活の中で、ひとつ分に5つあるものを探すのは難しいようです。「えぇっと。」と空を見上げる子、発見して喜ぶ子、様々です。普通自動車が5人乗りであることを発見した子がいました(写真3枚目)。よく見つけたなと感心しました。また、日常生活にある数を見つけたものの、問題にする方法を忘れたので、昨日のノートをじっくり見て「応用」しようとしている子がいました(写真4枚目)。
 算数は、日常生活に何気なく存在する数や量、形などを、合理的に整理したり、分類したり、法則を探したりすることが醍醐味であると思います。算数=〇、×という考えが吹っ飛ぶような「学び」を1、2年生までにどれだけするかが、その後の「算数」「数学」への「学び」が違ってくると思われます。
 そうした「算数」を楽しんでいる最中に、5、6年生は県の学力状況調査を受けていました。ある6年生は、昨年度「算数はやりたいですが、国語は絶対にやりたくありません。苦手なんです。」と言っていました。「今年はどう?」と聞くと、「(昨年度嫌い度が10とすると、今年は)5に減った。」と答えてくれました。また、ある5年生は、「難しいと思って受けたけど、難しいのは間違いないけれど、思ったよりは難しくなかった。」と言っていたようです。楽しんでテストを受けることは至難の業ですが、「テストを受ける自分」を客観的にみられるようになってきたことに、「学び」の足跡が見えます。