阿用小学校


長く練習した先には

2024-01-26 16:51:36
 今日午後になわとび大会を実施しました。12月初めから業間体育、体育の授業を中心に練習してきました。まず初めに、低・中・高学年ごとに持久跳びをしました。各学年の入賞タイムが設定されています。授業中も、それをめざしてどの子も頑張って跳んでいました。自分の結果に喜ぶ子、受け入れられない子、悔しい子など様々な姿が見られました。応援する他学年は、応援合戦さながらの大きな声での声援をかけていました。練習の時の2倍の長さを跳べた子もいましたし、友だちがうまく跳べたことがうれしかった子もいました。
 その後、各学級単位での8の字跳びをしました。今までの最高記録と目標を言います。そのたびに、他の学年は「がんばれ」と温かく拍手をしました。4枚目の写真は1年生の「新記録」達成の瞬間です。今まで練習してきたことができた喜びを体いっぱいに表していました。圧巻は高学年の8の字飛びです。5枚目の写真は練習の風景ですが、跳ぶ子たちが普段と違う「アスリート」の表情となり、雰囲気がガラッと変わりました。練習してきた成果を思い切り発揮していこうとする意気込みが伝わってきました。それは、6年生も同じでした。そんな、厳しさを目の当たりにした1~4年生は、「こんな高学年になりたい。」という尊敬の念を抱いて、大きな声で跳ぶ回数を数えていました。
 長い間練習してきた先に得たものは、きっと長く跳ぶ体力や技術ばかりではないのではないかと子どもに教えられました。

雪がたくさん降りました

2024-01-25 15:56:44
 1~2枚目の写真は、今朝の様子です。除雪の状況から判断して臨時休校としました。その後、教職員が2度の除雪をしました。昨日も、登校前、下校前、そして子どもたちが下校後に教職員がアスファルトが見えるくらいの除雪をしたのに、1枚目のような積雪となっています。雪の無情さを感じますが、校庭の新雪を見ると「ダイビング」したくなりますが、子どもたちのために我慢しました。阿用地区振興協議会の皆様には、子どもたちの通学路と校庭の除雪を早朝からしていただきました。ありがとうございました。

積み重ねで得る「楽しさ」

2024-01-24 15:56:18
 今日1年生は、昔の遊び交流会を実施しました。地域の方においでいただき、こま・お手玉・おはじき・あやとりを習いました。冬休み前から学校や家でも練習していましたが、なかなかうまくいきませんでした。それが、「さすがプロ」の地域のみなさん。子どもたちのやる気をくすぐるような声がけと的確なアドバイスでできるようになっていきました。少しでもできるようになるとうれしくて、より一層「プロ」のお話が聞きたくなります。「家でやってみよ。」などという声も聞こえました。昔の遊びは、昔から受け継がれるほどの「楽しさ」があります。それは、何も考えないで、パパっとできるような「単純な楽しさ」ではないということです。自分で「かちとる」楽しさということです。帰宅後、「ねぇねぇ、学校でやった昔の遊び、しようっ。」と子どもたちが言ってくることを祈っています。
 4~6枚目の写真は、6年生の学年発表です。結論から言いますと、5年生の男の子が、目をキラキラさせて「めちゃくちゃ感動しました。あんな劇をしてみたい。」と言いながら廊下を歩いていたことが物語っています。子どもたちの感想では、「やる気を出したり、あきらめずに取り組んだりできるのは、友だちなどの『やさしい言葉』だということがよくわかった。」という内容が多かったです。それだけ、子どもたちの心の中に内容がうまく入り込んでいったのだと思います。肖像権の関係でお見せできませんが、見ている子どもたちの生き生きした顔は、我々教職員が嫉妬するくらいのものでした。実は、他の学年の発表会の半分くらいの期間での練習での発表のようです。それができたのは、6年間の積み重ねで、一人ひとりが「この内容なら、こういう表現の仕方をすればよいのだな。」というように、今までの経験を生かしながら豊んな表現をしたことが一つあると思います。また、最高学年として、全校で自分の考えをたくさんの機会で伝えることを通して、物おじせずに自分の考えをまとめて言う訓練をしてきたことも考えられます。このように、今までの経験をフルに生かすことができたのは、これまでの「練習の積み重ね」のおかげだと思います。これも、自分で「かちとる」楽しさの一つだと思います。6年生にとっては、恐らく一生忘れない日になったと思います。

~だけど〇〇した 自己調整力を養う魔法の言葉

2024-01-24 09:43:10
 昨日からの降雪で子どもたちは、雪と寒さと闘いながら登校しています。1枚目から3枚目の写真は、登校時の様子ですが、お気づきの通り、数名の子どもが登校する子どもたちを迎えています。本校運営委員会のあいさつ運動です。ちょっと親心で「こんなに雪が降るから、屋根の下でいいんじゃない。」というと、「先生、大丈夫です。傘がありますから。」と笑顔で、寒い中登校する子どもたちのあいさつに、大きな声で応えていました。「運営委員会が寒いけど自分たちのために一生懸命あいさつをしてくれている。」と気付く子は、いつも以上に大きな声であいさつを返していました。
 本校は、傘をしっかりたたんで傘掛けにかけるようにしています。どんなに服が濡れていても、それだけは「昇降口は阿用小学校の『顔』。」という意識を持って取り組んでいます。4枚目の写真は、実は自分の傘ではない傘をたたんでいるところです。「私のではないけど、やってあげたほうがいいな。」と言って一人黙々とたたんでいました。登校でかじかんで指がうまく動かないのにもかかわらず、友だちの傘をたたんでいました。
 本校は、チャイムの機械が故障し、昨日から「ノーチャイム」としています。「この子たちなら、チャレンジしてみても大丈夫ではないか。」という教職員の「子どもを信じる姿勢」で行っているところです。5枚目の写真は2年生です。「もう35分。2時間目だよ。」という声が聞こえました。6枚目の写真は1年教室です。本日3時間目から「昔の遊び交流会」があります。それまでに、「こまやけん玉がよりうまくなっておきたい。」という強い願いを持って休憩時間に練習していました。願いが強ければ強いほどうまくいきません。そんなときに限って、2時間目の時間はやってきます。「もうそろそろ時計を見てちょうだい。片付けもトイレも休憩時間にやるんだよ。」という担任の声がけもちゃんと把握しています。「できないからもっと練習したいけど、2時間目の授業に取り掛からなくちゃ。」と一人ひとりが葛藤しながら、こまやけん玉を片付ける姿がとてもかわいかったです。
 「~だけど〇〇する。」というのは、自分の思いや願いとしなければならないことの葛藤の場面で生まれる言葉です。「自己調整力」といいます。これは、保育所等でも養っていく大切な力です。「わからないけれどやってみる。」という挑戦にもつながる大切な「学力」でもあります。

今月の詩の暗唱についてのあれこれ トマトはトマト

2024-01-22 17:00:00
 本校は、「今月の詩」「今月の歌」を設定し、朝礼にそらんじたり歌ったりしています。およそ10年前から「今月の詩」は、暗記したら校長室に行って一人ずつ披露することとなっています。そこで「合格。」となると1枚目の写真のような合格書をもらうことができます。これがなかなか難しいです。それは、「よし。覚えたから行ってみよう。」と思っても、校長が不在の日が多く、なかなかチャレンジできないことがあるということです。学年発表などの練習を休み時間も行うので、子ども自身もそんなに暇ではありません。大人の言い方をすれば、「超過密スケジュールの調整」が必要なのです。「誰かに『行け』と言われたから…。」という消極的なのか、人任せなのか、忘れていたのか、そういう子もいます。そんな中で、毎回全校一位をねらう子が数名います。美しい言葉に触れること、暗唱によって新しい視野が広がることも大切ですが、チャレンジ精神、調整力、実行力などを養うことができる大切な教育活動だと考えています。2枚目の写真は3年生以上の今月の詩ですが、こうした活動を通して「トマトがトマトらしく」自信を持って生きられる力を自ら培っていくのだと思います。
 3、4枚目は2年生の図工の様子です。カッターを使って直線や曲線などを切る活動を行っていました。担任からは、「手首じゃなくてひじを使って切るんだよ。」などとアドバイスを受けたり、動画を見たりして緊張しながらカッターを使っていました。最近、危険だからとカッターを使わせない大人もいます。しかし、カッターだからこそできることがたくさんあります。「じゃぁ、大人が代わってやってあげる。」と何でも子どもの「楽しみ」や「チャレンジ」を奪ってしまう風景も見られます。「危ないけれど」使い方を間違えなければ便利なものがあります。カッターが危険なことくらい子どもだってわかります。
 5、6枚目の写真は、4年生の図工の様子です。昔話などの物語を粘土等で立体であらわす活動です。この子は、登場人物になんと「わら草履」をはかせようとしています。何度も何度も、足の指先に「草履」をつけようとしますが、なかなかうまくできません。「鼻緒」を調整したり、「指先」を整形したりしています。「うーん、なかなか難しいな。あっ、こうすればいいのかな。」などとつぶやきながら取り組んでいました。午後教室に行ってみると、すてきな「ぞうり」をはかせてもらっていました。
 大人が思った以上に、子どもは様々なことを考えたり、あきらめないで取り組んだりしています。その積み重ねが、見違えるほどの成長を促していきます。案外、それを阻んでいるのは「トマトをメロンにしようとする大人」なのかもしれません。