学びの原点
2023-07-03 17:59:28






最近の「学び」の原点を紹介します。
1年生(1枚目)。つい最近(と思うのは失礼かもしれませんが)ひらがなを習い始めたのに、硬筆書写コンクールの「作品」づくりを始めました。プールに入って、汗だくだったにもかかわらず、よりよい「作品」にしようとがんばっています。「先生、できました。」という声が、「これは自信があるぞ。」であったり、「できるにはできたけれど。」であったり、自己評価をしながら担任に「作品」の成果を見てもらいに行っています。友だちに対しての担任のアドバイスもしっかり聞こうとしているところに「学び」の原点を感じます。
2年生(2枚目)。振興協議会の皆様のご協力で畑と田んぼに鳥獣対策の柵を作っていただきました。2年生は、「私たちが育てている野菜を守ってくださるみなさんにお礼を言いに行きます。」とさっそうと出かけていきました。それぞれが、大きな声で「ありがとうございます。」と堂々と言っていました。聞くところによると、育てた野菜を使ったカレーを作るようです。「カレーのためにね。」といじわるでいうと、「校長先生、違いますよ。全校みんなが野菜などを作っているでしょ。私たちは代表です。」と真剣に怒っていました。眼にみえないことでも、自分たちのために働いてくださっている人がいることを想像できるところに「学び」の原点を感じます。
3年生(3枚目)。「校長先生、ぼくたち『英語』をやっているんですよ。もう大変。」とローマ字練習帳を見せてくれました。ローマ字一覧表を見ながら、必死にローマ字で書こうとしていました。つい最近(と言っても1年生ですが)ひらがなを、五十音表で書きたい字を探しながら書いていた子たちが、「ちょっと大人になった」感じで「英語」を書こうとしています。かなり面倒くさい作業ですが、何か大人になる「儀式」として進んで習得しようとしています。こうして知識・技能を獲得することで、世界が広がっていくことの心地よさを味わっているところに「学び」の原点を感じます。
4年生(4枚目)。教室に入ると、社会科のごみの分別について学習していました。突然「校長先生は、『分別』って知っていますか。」と質問されました。「見学行っていないからなぁ。」というと、「なるほど。それじゃぁ仕方ない。」といって、分別について見学先で得た知識を自分なりの言葉で説明していました。見学先でもらった分別の表を用いて、「資源ごみ」について説明する姿は、もはやごみ処理に従事する専門家のようです。直接対面でお話を聞くことでしか得た、「自分事」として社会に関わる楽しさを感じているところに「学び」の原点を感じます。
5年生(5枚目)。やっと大きくなったメダカのオスとメスをグループごとに観察してスケッチしている様子です。見える体勢は子どもによって違うようですし、残念ながらメダカは元気よく動きますので、なかなかベストポジションが定まりません。集中力と忍耐力の勝負です。さらに、記憶力です。一瞬見た特徴をスケッチにあらわすのは至難の業です。しかし、グループのメンバーが特徴を言い合いながら、しっかりと描こうとしていました。見えにくいものでも、様々な力を駆使して注視していく姿に「学び」の原点を感じます。
6年生(6枚目)。6年生は先日から社会科の歴史的分野に入りました。縄文時代的な暮らしと弥生時代的な暮らしのどちらが幸せなのか、稲作が始まって本当に幸せにになったのかなど、歴史的な事実を関連付けて、当時の暮らしやそのころの人々の気持ちを想像していきます。さらに、今の自分の生き方と当時の人々の暮らしを照らし合わせて、「幸せ」かどうかという価値を判断していきます。社会は、徹底的に事実に基づかなければいけませんが、その上で「自分にとって」「現在の〇〇の社会にとって」どのような「価値」があるのかを考えていく必要があるときもあります。むしろ、大人になるにつれ、そういった「価値判断」は重要な力だと言えます。そんな今後必要になる社会を見る眼を話し合いの中で培っていく姿に「学び」の原点があります。
1年生(1枚目)。つい最近(と思うのは失礼かもしれませんが)ひらがなを習い始めたのに、硬筆書写コンクールの「作品」づくりを始めました。プールに入って、汗だくだったにもかかわらず、よりよい「作品」にしようとがんばっています。「先生、できました。」という声が、「これは自信があるぞ。」であったり、「できるにはできたけれど。」であったり、自己評価をしながら担任に「作品」の成果を見てもらいに行っています。友だちに対しての担任のアドバイスもしっかり聞こうとしているところに「学び」の原点を感じます。
2年生(2枚目)。振興協議会の皆様のご協力で畑と田んぼに鳥獣対策の柵を作っていただきました。2年生は、「私たちが育てている野菜を守ってくださるみなさんにお礼を言いに行きます。」とさっそうと出かけていきました。それぞれが、大きな声で「ありがとうございます。」と堂々と言っていました。聞くところによると、育てた野菜を使ったカレーを作るようです。「カレーのためにね。」といじわるでいうと、「校長先生、違いますよ。全校みんなが野菜などを作っているでしょ。私たちは代表です。」と真剣に怒っていました。眼にみえないことでも、自分たちのために働いてくださっている人がいることを想像できるところに「学び」の原点を感じます。
3年生(3枚目)。「校長先生、ぼくたち『英語』をやっているんですよ。もう大変。」とローマ字練習帳を見せてくれました。ローマ字一覧表を見ながら、必死にローマ字で書こうとしていました。つい最近(と言っても1年生ですが)ひらがなを、五十音表で書きたい字を探しながら書いていた子たちが、「ちょっと大人になった」感じで「英語」を書こうとしています。かなり面倒くさい作業ですが、何か大人になる「儀式」として進んで習得しようとしています。こうして知識・技能を獲得することで、世界が広がっていくことの心地よさを味わっているところに「学び」の原点を感じます。
4年生(4枚目)。教室に入ると、社会科のごみの分別について学習していました。突然「校長先生は、『分別』って知っていますか。」と質問されました。「見学行っていないからなぁ。」というと、「なるほど。それじゃぁ仕方ない。」といって、分別について見学先で得た知識を自分なりの言葉で説明していました。見学先でもらった分別の表を用いて、「資源ごみ」について説明する姿は、もはやごみ処理に従事する専門家のようです。直接対面でお話を聞くことでしか得た、「自分事」として社会に関わる楽しさを感じているところに「学び」の原点を感じます。
5年生(5枚目)。やっと大きくなったメダカのオスとメスをグループごとに観察してスケッチしている様子です。見える体勢は子どもによって違うようですし、残念ながらメダカは元気よく動きますので、なかなかベストポジションが定まりません。集中力と忍耐力の勝負です。さらに、記憶力です。一瞬見た特徴をスケッチにあらわすのは至難の業です。しかし、グループのメンバーが特徴を言い合いながら、しっかりと描こうとしていました。見えにくいものでも、様々な力を駆使して注視していく姿に「学び」の原点を感じます。
6年生(6枚目)。6年生は先日から社会科の歴史的分野に入りました。縄文時代的な暮らしと弥生時代的な暮らしのどちらが幸せなのか、稲作が始まって本当に幸せにになったのかなど、歴史的な事実を関連付けて、当時の暮らしやそのころの人々の気持ちを想像していきます。さらに、今の自分の生き方と当時の人々の暮らしを照らし合わせて、「幸せ」かどうかという価値を判断していきます。社会は、徹底的に事実に基づかなければいけませんが、その上で「自分にとって」「現在の〇〇の社会にとって」どのような「価値」があるのかを考えていく必要があるときもあります。むしろ、大人になるにつれ、そういった「価値判断」は重要な力だと言えます。そんな今後必要になる社会を見る眼を話し合いの中で培っていく姿に「学び」の原点があります。