子どもが「学ぶ」時
2023-01-20 17:09:33






今週になり、2学期後半から練習してきた書初めが廊下に貼ってあります。今日見ると、その「作品」に「〇〇がていねいだね」などといったコメントが書いてある付箋が貼ってありました。5、6年生の教室前では、真剣な面持ちで、審査員のように友達の「作品」を見ている子どもたちがいました。「全体的に見た時のバランスが良い」「〇の字がとても丁寧」「ひらがなを少し小さくしたおかげで漢字を大きく書けるようになっている」などというコメントを書いていました。それを書きながら、「結構いいと思って提出したけれど、まだまだうまくなるところがあったなぁ。もっと練習すればよかった。」というつぶやきが聞こえ始めました。いつもは教科書などの手本を見て自分の目標を立てて練習してきているのですが、友達の素晴らしいところを発見することで、新たな視点が生まれたようです。
3枚目の写真は、3年生の算数「二けた同士のかけ算のひっ算」の活動の様子です。二けた同士のかけ算をひっ算で行うときの方法を伝えあっています。「まずね、かける数の一の位をかけるじゃん。だから十の位を指で隠すよ。それでかけられる数の一の位との計算。そう。」といって自分の指を使って説明しています。すると「あっ!なるほど。わかったよ。〇〇ちゃん。後はやるね。」といって問題を解き始めました。そのあとの様子が4枚目の写真です。そうして解いた解き方と新しい問題を見比べながら問題を解いています。「まずかける数の十の位を」と心で言いながらじっくりと説いていました。ほかの子どもたちを見ると、かけられる数とかける数のそれぞれの位の数を「たすき掛け」にするように線を引くなど、様々な方法をから自分なりの方法を選んで説いていました。教室内には、「簡単!」「できた!」などという声が聞こえてきましたが、これはただ正解が増えたとか、速く解けたとかの問題ではなく、自分なりの方法をあみだして説いていったことへの喜びのように聞こえました。
2年生教室に入ると、ストーブのところに集まって「じさまや」「ばさまや」などと言っていました。国語の「かさこじぞう」の学習でした。6体の地蔵に傘や手ぬぐいを渡してしまったじさまはどのような気持ちだったのかをストーブを囲炉裏として追体験していました。その後、空想での餅つきをじさまとばさまが行っているときの気持ちを考える際には、ほかの絵本をの絵を見て考えていました。昨日の「おはなしの森」の方々とのお話であった、昔話の内容がわからない現代の子どもたちですが、こうした様々な体験を通して少しでも気持ちを探ろうとしていました。これは恐らく、じさまとばさまのあの人柄に接した子どもたちのじさまとばさまへの「思い入れ」が原動力だと思います。
3枚目の写真は、3年生の算数「二けた同士のかけ算のひっ算」の活動の様子です。二けた同士のかけ算をひっ算で行うときの方法を伝えあっています。「まずね、かける数の一の位をかけるじゃん。だから十の位を指で隠すよ。それでかけられる数の一の位との計算。そう。」といって自分の指を使って説明しています。すると「あっ!なるほど。わかったよ。〇〇ちゃん。後はやるね。」といって問題を解き始めました。そのあとの様子が4枚目の写真です。そうして解いた解き方と新しい問題を見比べながら問題を解いています。「まずかける数の十の位を」と心で言いながらじっくりと説いていました。ほかの子どもたちを見ると、かけられる数とかける数のそれぞれの位の数を「たすき掛け」にするように線を引くなど、様々な方法をから自分なりの方法を選んで説いていました。教室内には、「簡単!」「できた!」などという声が聞こえてきましたが、これはただ正解が増えたとか、速く解けたとかの問題ではなく、自分なりの方法をあみだして説いていったことへの喜びのように聞こえました。
2年生教室に入ると、ストーブのところに集まって「じさまや」「ばさまや」などと言っていました。国語の「かさこじぞう」の学習でした。6体の地蔵に傘や手ぬぐいを渡してしまったじさまはどのような気持ちだったのかをストーブを囲炉裏として追体験していました。その後、空想での餅つきをじさまとばさまが行っているときの気持ちを考える際には、ほかの絵本をの絵を見て考えていました。昨日の「おはなしの森」の方々とのお話であった、昔話の内容がわからない現代の子どもたちですが、こうした様々な体験を通して少しでも気持ちを探ろうとしていました。これは恐らく、じさまとばさまのあの人柄に接した子どもたちのじさまとばさまへの「思い入れ」が原動力だと思います。