阿用小学校


一人ひとりにあった「学び」

2022-12-16 17:00:00
 今日の1時間目の3年生の教室をのぞくと国語の教科書の冒頭にある、まどみちおさんの「ぼくがここに」という詩の暗唱に挑戦していました。三木露風さんの「赤とんぼ」や俳句など「五・七」調の文は、リズムがあり、覚えやすいことを発見した3年生は「赤とんぼ」の詩の暗唱の挑戦をした後の姿です。「赤とんぼ」を数分でここに覚える活動をした後に、クラス全体で発表する「チャレンジ」をしたようです。中には覚えられた子がいたようですが、まずは「できなくてもチャレンジしてみようよ」と働きかける子ども、それに応えてチャレンジする子どもがいました。そこで、できてもできなくても「チャレンジ」することに楽しさを味わった3年生たちは、まどみちおさんの「ぼくがここに」の詩を挑戦することとしたわけです。
 1枚目の写真は、クラスの中で一番多い、声に出して読んで覚えるタイプです。2枚目の写真は、1回読んで、2回目は目をつぶって覚えている分だけそらんじて、わからなくなったら目を開けて教科書を見る、その繰り返しで覚えるタイプです。3枚目は、2枚目のタイプと似ていて、目をつぶることの代わりに教科書を裏返す方法でした。4枚目は、ペアやグループになって「テスト」して覚えるタイプです。5枚目は、ひたすら鉛筆で文字を追いながら黙読して覚えるタイプです。6枚目は、座ったり立ったりして姿勢を変えながら覚えるタイプです。姿勢を変えることで、読んでいるときの字の大きさや位置を変える(無意識かもしれませんが)ことで覚える方法です。こうした一人一人が違った方法で覚えていることが素敵です。耳を使って(1枚目)、クイズやスリルを味わって少しずつ覚える量を増やす(2~4枚目)、字をカメラに映すようにして画像を頭に入れていく(5枚目)、時にはダンスなどの振りも加えるなどの体を使う(6枚目)など、様々な覚え方があります。昨日の「覚えたけれど…」ではないですが、その後に生かすためには様々な覚え方を知っておく必要があります。
 「いつかきっと覚えられる。いや覚えたい。」という詩の暗唱をしていこうと向かっていく姿勢があることが大前提ですし、覚えられなかったら「×」「だめ」ではなく挑戦することが「◎」ということがクラス全体の雰囲気としてあることが重要です。先日、ある幼稚園の園長さんから、サンタさんへのお手紙を必死に書こうとしている子どもの様子を聞きました。サンタさんに伝えるために様々な方法で「文字」を探しては書いていくそうです。「きっと伝えられる。いや伝えたい。」という思いで書いた手紙の「サンタさんえ」。これを「え」に×をするのは、生涯にわたって学び続けようとする姿勢をだめにする気がします。個々の願い、願い実現のための方法、大切にしていきたいものです。
 

次につなげること、生かすことが「学び」

2022-12-15 17:00:00
 1枚目の写真は、4年生の国語の授業の際の黒板です。私たち大人も1度は経験した思いが書いてありました。「漢字は覚えているけれど、テストになると…」という言葉です。大人になると、「学校で覚えたけれど、実生活になると…」というように変化するかもしれません。子どもたちは、この吹き出しの思いを少しでも解消するために熟語を使って漢字の広がりを理解しようとしていました。
 2枚目の写真は、2年生の算数「かけ算」の活動です。ずいぶん「九九」を学んできましたので、問題を解いていました。例えば、「8mのリボンが7本あります。そのうち5本をつなぎました。つないだリボンは何m、でしょう。」という問題がありました。九九を学んだ子どもたちは「なぁんだ!簡単!」とは、なかなかいきません。数字が「8」「7」「5」の3つあるからです。九九は2つの数字なのに問題には3つの数字があります。加えて大きな壁として立ちはだかっているのが「何を聞かれているんだろうか」ということです。「九九は覚えているけれど…」です。これからたくさんの場面でかけ算を使ってみることで慣れてくるかと思います。
 3枚目は1、2年生の体育の縄跳びの活動です。4枚目は4年生の書写「書初めに挑戦しよう」です。どちらも、冬休みの練習を通して、より一層うまくなるためには何を、どのようにすればよいのかを考えるための大切な時間です。ここで、「冬休みには〇〇を~時間くらいしよう」という見通しが持てることが大切な「学び」だと思います。
 5枚目は、5、6年生の総合的な学習の時間「平和学習で学んだことを発表しよう」です。4月から修学旅行等で「出逢った」、「ひと・もの・こと」から平和について、現在の状況について、これから平和な社会を築くために自分がすべきことについて発表していました。残念なことに、現在、ウクライナ侵攻や東アジアの緊迫した情勢など、毎日のニュースで「平和」への危機感を子どもでも感じさせられる状況です。当たり前の生活ができることが平和だということを5、6年生が平然と言っていることに少し胸が痛くなりました。今後も、生涯学び続けるべき内容に真摯に向き合ってきた成果が見られました。
 6枚目の写真は、1年生の子どもたちの様子です。先日、テスト終了後に数字やひらがなを順に追って線を結んでいって図を完成させるというプリントに取り組みました。1学期にも行ったのですが、少しバージョンアップして130までの数字を1からずっと追いながら線を引いたり、ひらがなを「あ、い、う…」と追いながら線を引いていきました。最終的にはクリスマスツリーなどが完成しました。今日、教室に行ってみると、自分たちで問題を作っていました。「ぼくが作ったのは難しいよ。〇〇ちゃん、後からやってみて」。こうした、「楽しい体験」を「自分のもの」にして、次に「つなげようとする」ことが冒頭の「覚えているけれど…」の解決の一つかと思います。
 さて、冬休み。2学期での「学び」をどうすれば、「覚えたけれど…」にならないでしょうか。

テストやまとめは、終わりの始まり

2022-12-14 17:00:00
 今週に入ってから、全校の教室を回るとどこかでテストをしています。単元や2学期のまとめのテストをしています。答えがあっているのかどうかわからなくて書いては消しを続けている子、問題を「数秒」読んでさっと答えを書く子、「あぁこれはどうだったっけな」と思わずつぶやきながら授業を思い出している子、「先生、これはわかりません!」と宣言をして教えてもらえるはずがないのに「助け」を求める子、など様々です。あらかじめ、〇〇日にはテストをすることは知らせてあるはずですが、なかなかの一喜一憂の姿がみられます。
 4枚目の写真は、4年生の外国語活動での一コマです。担任が示したアルファベットを「2秒」以内に応える活動をしていました。見覚えがある、身近であるような文字が出ればよいですが、わずか「2秒」で応えるというのは、緊張してなかなか自分の力を発揮することができづらいです。ローマ字表記を学んでいますので、「R」も「L」もラ行として使えたりするので余計に難しいです。「運がよくて」応えられた子もいますが、なかなかの度胸試しとなります。4年生はできなかったことがあると、どうにかしようとするのでこの後が楽しみです。
 3年生は、算数でのプリントでわからなかった「1Lは1/6Lが何個あるのか」という問題をもう一度全員で解いていました。図に示して、分数とは何かをもう一度確認していくと「なんだ!簡単だ」ということになりました。全員で解決した後ばペアで確認をしていました。その時に担任とともに解決したように、黒板に出て説明を始める子が何人かいました。その様子が5枚目の写真です。これは、プリントという「テスト」をやってみて、わからないことがわかったから、「学び」が深まったといえる光景です。
 テストは本来、自分が今まで取り組んできたことがどれくらいできるのかを「試す」という意味が強いかと思います。授業、宿題等でしっかり取り組めば取り組むほど「試し」という「テスト」は楽しみになりますし、「テスト」が終わった後は、わからなかったところや間違ったところに対して「次は~しよう」という目標を立てることができると思います。といっても、なかなか「テスト」を楽しめることはできないかもしれません。まずは、6枚目の写真のように、2学期の振り返りをしっかりと行い、3学期に何をすべきなのか、したいのかを明確にしておく必要があると思います。「〇〇ができなかった」ことがわかっただけではなく、どうしてできなかったのか、どうすればよいのかまでをしっかり考えていくと、「テスト」を楽しめるような深い「学び」になると思います。

自分で ということの「学び」

2022-12-12 14:26:15
 12月3日の土曜日は、授業公開等のため出校としました。給食がないこともあり、本校は「弁当の日」としました。弁当に必要な食物の買い物、米研ぎ、当日の炊飯、おかず作り、などの選択肢とともに、お弁当箱を洗うことまでを目標として取り組みました。本校は、稲刈りの時もそうでしたが、1年生だから~はできないということを決めつけることはせず、自分で願いを持ったことに対して目標を設定して取り組むことを大切にしていますので、1年生でもお米を研いでおにぎりを作ろうと考えている子もいました。
 当日の登校時には、様々な子どもの姿が見られました。「もう4時から起きてお弁当を作ったから…」と登校早々に眠そうな子、「先生、見てもらいたいです。自分で〇〇を作りました。」と今にもお弁当箱を取り出して見せようとしている子、「朝起きれるか心配で、昨日の夜眠れませんでした。」と先を見通して取り組もうとしている子、一人一人がそれぞれのストーリーを持ちながら登校してきました。
 あるクラスでの会話です。「先生、僕がお弁当を作ろうと早起きしたら、「〇〇ちゃん、お弁当」って僕より先に起きて作ってくれていたんです。うれしいけれど、残念です。」と報告してくれていると、「それはね、〇〇ちゃんが昨日のうちに「僕が作るよ」と言わなかったからだめだよ。うちはね、昨日のうちに宣言したから、お母さんは「ありがとう。それはお母さん、楽ができるわ」といって今朝起きなかったよ。本当に自分一人で作ったんだ。」「なるほど、宣言かぁ」というものでした。何か、「ちょっと大人になることよ」と宣言しているみたいでほほえましかったです。おにぎりを作った子どもの中には、精魂込めて力を注入しながらおにぎりを作ったようで、「おもち」のように弾力のあるおにぎりになったという子もいました。
 土曜日に子どもがお弁当作りに携わることができるのは、保護者の皆さんが、平日の仕事がお忙しい中で、買い物に付き合ってくださったり、レシピや料理の段取りを教えてくださったからできることだと感謝しながら、子どもたちの「ちょっと大人になる」喜びのコメントを聞かせてもらいました。おそらく、当日の朝「あぁ、こんなことしていたら間に合わないな。私が作ったほうが早いわ。」とか、「もう見てられないわ。けがしそう。」という思いをされた保護者の方もおいでだと思います。ぐっとこらえて、子どものトライアンドエラーを大切にしていただきましたことも、併せて感謝します。

人と「うまく」かかわるためには 国語 全校遊び

2022-12-11 13:09:33
 12月9日の昼休みに健康委員会が「全校ドッジボール大会」を開きました。1年生は、保育園で取り組んだところもあるかと思いますが、こんなに多くの人数で行うのは初めてかもしれません。給食を終えると、とてもはしゃいで体育館に集合しました。健康委員会は、前回の校庭での全校鬼ごっこ大会がありますので、「ルールを守ってください」「みんなが楽しめるように、勝ち負けにこだわらないでください」などという注意事項を参加者に伝えて始めました。みんなは、非常に大きな声で「はい」と返事をしていました。始まると、高学年のスピードの速いボールに圧倒される子、「これはずっと逃げ続けよう」と固く決心をする子、ボールを投げることやとることにチャレンジする子、低学年の持っているボールを奪う子と譲る子、何でもかんでも高学年にゆだねる子、様々な「人間模様」が見られました。実は、はじめから人数の偏りがあったように思いますが、非常に和気あいあいとできました。今回は勝ち負けにこだわりすぎて、相手チームを挑発したり味方に注意したり、あてられて悔しく泣き叫んだりする子はいませんでした。
 2週間に1回実施するようですが、前回のように勝敗にこだわる姿はとても大切にしたいですし、今回のような和気あいあいも大切にしたいです。しかし、「遊び」ですから、勝ち負けが伴うゲームをするにはある程度「勝ち負け」にこだわって、より強くなるためにはどうすればよいのかを追究してほしいと思います。少しやる気のない友達には叱咤激励をしたり、苦手だと思っている子にアドバイスをしたりする光景も見たいものです。こうした、いいバランス感覚を持って集団で遊ぶことは非常に大切だと思います。「みんなちがってみんないい」というのは、一人一人が幸せを追究し、時には叱咤激励を繰り返した末に感じることだと思います。そうでなければ、一人一人がゲーム機で遊ぶほうが楽しいことになってしまいます。
 そうした意味でも国語を中心とした、言葉を使って適切に伝えたり理解したりする学びは重要だと考えます。4枚目の写真は、2年生の国語で、教室内で動物が書いてある文字などを集めようとする活動がありました。語彙は多ければ多いほど良いですが、耳や目ばかりではなく、手や足、そして友達をうまく使って語彙を増やすことは、その後の生活での活用できる確率を大いに高めることになるようです。5枚目の写真は、3年生の国語で「学校での昼ご飯は給食がよいか、弁当がよいか」を説明しあう活動でした。ある子が、自分をよく知っているお母さんだからこそ、自分に合った弁当を作ってくれるからということを、例を用いながら説明していました。担任は、「非常によくわかるし、お母さんに伝えたいくらい心のこもった主張だけど、もし反論があるとすれば」と言いかけると、「〇〇ちゃんの文はとても素敵だけど、反対が」と言って何人かの子どもが、挙手していました。自分の主張と違う考えを持つことがよいことで、それをうまく伝えることをしっかり考えればよいということを学んでいると思います。
 6枚目の写真は、3、4年生の体育での「器械運動発表会」の様子です。できずに泣きながら挑戦している子に対して、「大丈夫だよ。みんながついているよ。」「挑戦することが素敵だよ。」などという声援を全員が、のどがかれるくらいの大きい子でかけていました。すこし「こわさ」もあり、なかなかできづらいのに、何度も挑戦していましたので、それに応えようとしていたのだと思います。
 やはり、何かに真剣に取り組んでいけば、できることやできないこともあり、うれしいこともつらいこともあります。そうしたときに、やりたくすることもやめたくするのも、子ども同士の言葉だと思います。勝ち負けにこだわらず、ただ時間が過ぎるまで何かをするという遊びではなく、今までの「学び」を駆使した一つ上の「遊び」が見られることを期待します。