教室で楽しく過ごす 与えられたもので楽しませてもらうくせ
2023-01-17 17:00:00






今日朝礼前に4年生教室に入ると、「ぼそぼそぼそ」と七五調のリズムで何かを口ずさむ子が何人もいました。静かに近づいてみると、国語で取り組んでいる「百人一首」を覚えている姿でした。この後、百人一首かるたを行うようで、必死に練習をしていました。現在では使わない言葉もたくさんあるのでなかなか覚えにくいですが、授業でどのような内容なのか、どんな風景をあらわしているのかなどを考えていましたので、感覚的にイメージはできているようでした。
2時間目には、体育館で1、2年生が縄跳びに取り組んでいました。1年生は小学校に入学して初めて「できるようになるぞ」という意識をもって取り組む経験をする子もいます。2学期終わりごろから取り組んでいますが、特に1年生の真剣さが少しずつ増してきているように思います。ペアの跳んだ数を数えなければいけませんので、跳ぶ様子をしっかりとみています。跳び終わった後には、励ましや賞賛の言葉がけをしていました。「先生。みてみて、私こんなに跳べるようになったよ!」と自慢してくる子、冬休みも練習してきたのに伸び悩んでいる子、様々ですが、じっくり練習することに対しての心地よさを味わい始めたようです。業間体育の後、「先生、長縄を回してください。」と頼みにくる子が何人もいました。来週実施する縄跳び大会に向けて練習したい子たちが何人もいました。業間や昼休みを使ってこつこつと練習しているようです。異学年で取り組んでいるので、上学年は「見られている」、下学年は「うまく跳ぶコツを見つけよう」という、双方とも緊張感のある中で、楽しんでいる様子でした。
5枚目の写真は、1年生の生活科「昔の遊び」の一コマです。けん玉、お手玉、こまに挑戦していました。「もう!できん」「なんかわからんけど、できた。またできた」「なんでできるの」と一喜一憂していました。こちらがこまやけん玉をやってみせると、自分もできるはずなのに、と怪訝な表情を見せる子もいます。
かるた、縄跳び、けん玉、お手玉、こま。どれをとっても、一朝一夕にできるものではないけれど、努力すれば上達するという「楽しみ」があります。3学期になり、感染症拡大防止対策により体育館や校庭で思い切り遊ぶことを制限せざるを得ない日が続きます。昔から行われてきた、かるた、縄跳びなどの遊びを教室内でしていこうという機運が高まることを期待しています。この頃、「楽しませてもらう」遊びがほとんどです。しかし、本来は子どもが欲している遊びは、自分の試行錯誤の上で「勝ち取った」楽しさを得るものではないかと思います。そして、それが「学び」であると思います。
6枚目の写真は、5、6年生の冬の俳句です。何気なく生活している中で自分しか発見することができない冬を「見つけ出す」。これも究極の「遊び」「学び」であると思います。
2時間目には、体育館で1、2年生が縄跳びに取り組んでいました。1年生は小学校に入学して初めて「できるようになるぞ」という意識をもって取り組む経験をする子もいます。2学期終わりごろから取り組んでいますが、特に1年生の真剣さが少しずつ増してきているように思います。ペアの跳んだ数を数えなければいけませんので、跳ぶ様子をしっかりとみています。跳び終わった後には、励ましや賞賛の言葉がけをしていました。「先生。みてみて、私こんなに跳べるようになったよ!」と自慢してくる子、冬休みも練習してきたのに伸び悩んでいる子、様々ですが、じっくり練習することに対しての心地よさを味わい始めたようです。業間体育の後、「先生、長縄を回してください。」と頼みにくる子が何人もいました。来週実施する縄跳び大会に向けて練習したい子たちが何人もいました。業間や昼休みを使ってこつこつと練習しているようです。異学年で取り組んでいるので、上学年は「見られている」、下学年は「うまく跳ぶコツを見つけよう」という、双方とも緊張感のある中で、楽しんでいる様子でした。
5枚目の写真は、1年生の生活科「昔の遊び」の一コマです。けん玉、お手玉、こまに挑戦していました。「もう!できん」「なんかわからんけど、できた。またできた」「なんでできるの」と一喜一憂していました。こちらがこまやけん玉をやってみせると、自分もできるはずなのに、と怪訝な表情を見せる子もいます。
かるた、縄跳び、けん玉、お手玉、こま。どれをとっても、一朝一夕にできるものではないけれど、努力すれば上達するという「楽しみ」があります。3学期になり、感染症拡大防止対策により体育館や校庭で思い切り遊ぶことを制限せざるを得ない日が続きます。昔から行われてきた、かるた、縄跳びなどの遊びを教室内でしていこうという機運が高まることを期待しています。この頃、「楽しませてもらう」遊びがほとんどです。しかし、本来は子どもが欲している遊びは、自分の試行錯誤の上で「勝ち取った」楽しさを得るものではないかと思います。そして、それが「学び」であると思います。
6枚目の写真は、5、6年生の冬の俳句です。何気なく生活している中で自分しか発見することができない冬を「見つけ出す」。これも究極の「遊び」「学び」であると思います。