没頭すること 深い学びへ
2022-11-09 17:00:00
今日から本校は個人懇談が始まります。その関係で朝掃除を行っています。全校が縦割り班で行いますが、非常に静かに掃除をしています。校舎内で聞こえる「音」は教職員がたまに行う指示のみです。教職員があれもこれもと指示を出せば出すほど、子どもたちは集中して掃除ができなくなる傾向があります。つまり、子どもたち自身が考えながら、集中して担当の場所をきれいにしている証拠だといえます。登校時の大きな声でのあいさつと一転した静けさは、非常に感慨深い光景です。
さて、4年生は国語において、自分で物語文を作っている子とは以前紹介しました。とても明るく、いつも笑い声が絶えない学級ですが、国語のこの時間だけは誰一人声を出していません。一人ひとりが考えた「作品」を担任は「根気強く」アドバイスや修正すべき点を原稿用紙に書いていきます。すると、子どもたちも「根気強く」担任のアドバイス等の意図を理解して、よりよいものを創ろうとがんばります。その繰り返しを経て、とうとう清書に入ろうとしています。担任は最後の「レベルアップのコツ」として、とうとうきれいな字の書き方の紹介をしていました。子どもたちは「なるほど。そうすればよりよいものになるんだな」と言いつつ、緊張した面持ちで一字ずつ力を入れながら清書を始めました。いつもは話しかけると、すぐ反応してくれる4年生の子どもたちですが、全く相手にしてくれませんでした。
5、6年生は、図工において自分のお気に入りの学校の風景を水彩画で描いていました。担任から、遠くにあるものがきちんと「遠くに見える」ようになるコツを教えてもらい、一言も話をしないで真剣にいろ塗りをしていました。3枚目の写真ですが、自分が集中できやすい場所を選んで取り組んでいました。床に画板を置く子、のばした足に置く子、壁に向かって描く子、それぞれ集中できる場所は違うようです。たまに「先生、こういうときはどうすれば、遠くに見えるようになりますか。水の量ですが。」などと質問をしていました。
4枚目の写真は、1年生の算数の風景です。ある子が、「間違ってもいいからやってみよう」といって「13-7=」の考え方の説明に挑戦しました。すると、友だちが「大丈夫。みんなでみているから。・・・うん、そう。いい感じ」と言いながら、手をぎゅっと握って応援していました。説明する方も、聞いている方も力が入りました。5枚目の写真は3年生の道徳の風景です。ここでも同じように、「どうしよう。間違えたら。」とモニターの前で緊張している友だちに対して、「大丈夫。見ているよ」といって、手を双眼鏡にしてじっと見つめて応援していました。両方とも、課題に対して全員で解決していこうとしていますし、その際に間違っても、何も恥ずかしいことはない、むしろみんなが応援するといった雰囲気が見られました。
課題が少し難しく、自分たちで失敗してもあきらめないで解決していこうという気持ちで取り組む、つまり没頭することは、案外難しいことです。保育所や幼稚園などでは遊びの中で「いいこと考えた」「やっぱりそうか」などという独り言が自然と出てくるときに没頭しているというようですが、まさにそういった光景が小学校で見られることは、幼児期での遊びの中で培った「没頭する」ことのよさ、面白さを再現していることだといえます。「教科書の〇〇ページを開いて。今日は問題の〇番をします。できましたか。」という受け身の授業では見られないことでしょう。そういったときには、必ず友だちへの応援や励まし、協力が見られるようになります。6枚目の写真がそれを物語っています。右側の女の子は、テープを使いたくてきたのですが、左側の男の子が困っていたので、そっとテープを差し出しながら、「こうしたらいいんじゃない。」とアドバイスしていました。左側の男の子はごく自然に「ありがとう。」といっていました。2年生の生活科での光景です。全員がおもちゃづくりに没頭して、静かになっていた教室の中で優しく聞こえてきた「ありがとう」の声でした。
さて、4年生は国語において、自分で物語文を作っている子とは以前紹介しました。とても明るく、いつも笑い声が絶えない学級ですが、国語のこの時間だけは誰一人声を出していません。一人ひとりが考えた「作品」を担任は「根気強く」アドバイスや修正すべき点を原稿用紙に書いていきます。すると、子どもたちも「根気強く」担任のアドバイス等の意図を理解して、よりよいものを創ろうとがんばります。その繰り返しを経て、とうとう清書に入ろうとしています。担任は最後の「レベルアップのコツ」として、とうとうきれいな字の書き方の紹介をしていました。子どもたちは「なるほど。そうすればよりよいものになるんだな」と言いつつ、緊張した面持ちで一字ずつ力を入れながら清書を始めました。いつもは話しかけると、すぐ反応してくれる4年生の子どもたちですが、全く相手にしてくれませんでした。
5、6年生は、図工において自分のお気に入りの学校の風景を水彩画で描いていました。担任から、遠くにあるものがきちんと「遠くに見える」ようになるコツを教えてもらい、一言も話をしないで真剣にいろ塗りをしていました。3枚目の写真ですが、自分が集中できやすい場所を選んで取り組んでいました。床に画板を置く子、のばした足に置く子、壁に向かって描く子、それぞれ集中できる場所は違うようです。たまに「先生、こういうときはどうすれば、遠くに見えるようになりますか。水の量ですが。」などと質問をしていました。
4枚目の写真は、1年生の算数の風景です。ある子が、「間違ってもいいからやってみよう」といって「13-7=」の考え方の説明に挑戦しました。すると、友だちが「大丈夫。みんなでみているから。・・・うん、そう。いい感じ」と言いながら、手をぎゅっと握って応援していました。説明する方も、聞いている方も力が入りました。5枚目の写真は3年生の道徳の風景です。ここでも同じように、「どうしよう。間違えたら。」とモニターの前で緊張している友だちに対して、「大丈夫。見ているよ」といって、手を双眼鏡にしてじっと見つめて応援していました。両方とも、課題に対して全員で解決していこうとしていますし、その際に間違っても、何も恥ずかしいことはない、むしろみんなが応援するといった雰囲気が見られました。
課題が少し難しく、自分たちで失敗してもあきらめないで解決していこうという気持ちで取り組む、つまり没頭することは、案外難しいことです。保育所や幼稚園などでは遊びの中で「いいこと考えた」「やっぱりそうか」などという独り言が自然と出てくるときに没頭しているというようですが、まさにそういった光景が小学校で見られることは、幼児期での遊びの中で培った「没頭する」ことのよさ、面白さを再現していることだといえます。「教科書の〇〇ページを開いて。今日は問題の〇番をします。できましたか。」という受け身の授業では見られないことでしょう。そういったときには、必ず友だちへの応援や励まし、協力が見られるようになります。6枚目の写真がそれを物語っています。右側の女の子は、テープを使いたくてきたのですが、左側の男の子が困っていたので、そっとテープを差し出しながら、「こうしたらいいんじゃない。」とアドバイスしていました。左側の男の子はごく自然に「ありがとう。」といっていました。2年生の生活科での光景です。全員がおもちゃづくりに没頭して、静かになっていた教室の中で優しく聞こえてきた「ありがとう」の声でした。
